不思議な町立石。
その中でも、大木貞次像は
不思議ランキングの上位を争うのは間違いありません。
ちなみにgoogleで検索をかけてみると
2チャンネルでこんな書き込みがあります。
『2008年4月6日 ... (長崎屋の裏口とタカラトミーとの間の道です)
見ず知らずの銅像があった。
確か「大木貞次像」って書かれてたと思う。
ぐぐってみたけど、どんな人なのかな〜んにも出てこないんだけど、
あれって、どういう銅像なんだろう? 』
大木貞次像は区役所通りのタカラトミー本社を右に曲がると、
何の前触れもなく、民家の脇に突然あらわれます。
この彫像の特徴は、説明が全くないこと。
塀と台座の横を窮屈な体勢で後ろに回り、
丁寧に眺めても、何の説明もありません。
彫像になったぐらいの人だし、
なにか業績を残しているのだろうけど、
それがなんなのかはよくわからないのです。
それでも、大木さんは毎日、
雨にも負けず、風にも負けず、
ひたすらタカラトミー本社を眺めています。
出会ってしまった人を途方に暮れさせてしまう、
そんなところが大木貞次像にはあります。
どのような人物だったか、立石の歴史に詳しい方にうかがいました。
(大木さんのことはいろんな人に聞きましたが、
人によっていろんな話があります。
随時、調べたことをUPしていきたいと思います。)
まずは読み方。
大木貞次は「おおきていじ」と読みます。
現在、大木さんが立っている一画は戦前までは田んぼ。
その後は田んぼをつぶし、
工場で出る廃材なんかの集積所だったそう。
大木さんはその一画を買い占め、
通称「大木温泉」(展望閣)をつくりました。
つまりは地域で大規模なビジネスを始めた事業家だったのですね。
呑んべ横丁のママのひとりは子どもの頃、
濁りぎみのドロッとしたお湯に入った記憶があると言っていました。
私が物心ついた頃から、この一画はスーパーの長崎屋でした。
現在はホームセンターのホームピックが入っています。
以前、大木氏は区議会議員にも立候補したことがあり、
残念ながら、そのときは落選したそうです。
銅像はご自身が生存中に立てたということでした。
今日も大木貞次像はタカラトミーを眺めています。
私は立石の不思議さを象徴するこの像が大好きです。